2011年08月15日

二階堂和美さんのライブビート

昨日、二階堂和美さんのラジオ公開録音に行ってきた。
(結局、虎屋は時間がなくて寄れなかった…)

最高だった。
とても自由な感じがした。
YOUTUBEで見たよりも遥かに魅力的。
シャンソンのようで演歌のようでポップスであり…
そして、感情と声の繋がり方が絶妙。

彼女は広島県で生まれ今も広島県で暮らしているという。
『今も昔も、同じように蝉が鳴く朝を迎えていたと思う。』というMCで始まった「蝉にたくして」という曲。
冒頭、蝉の声帯模写から世界に引き込まれた。
CDを手に入れてもう一度じっくり聴きたいと思った。
また、『いつ死ぬかわからないが、限りある命だという事を認識するのは活力の湧くこと。』
というMCで私も活力を得られた。特別な言葉ではないかもしれないが、説得力があったな。
「死後の世界があるかどうか」という中学生っぽいw疑問を今更ながら友人にぶつけたばかりの私にはなおさら響いたよ。
ラジオ放送は9/25(日)NHK−FM「ライブビート」で午後11時から。秋の夜長におすすめよ。

このようにして、二階堂和美さんに刺激を受けたわけであるが、
とてもとても彼女のような強い表現はできないなぁと思った。ハナから勝負にもなっていないけれど完敗である。
けれど力足りないからこそ、人の力をうまいこと借りてwうまいこと強い表現に近づきたいと思うのである。


今日は8月15日。
子どもの頃から「考えるべき日」としてあるが、今何を思うか。
戦争反対と願っても、戦争は無くならないのだよね。

話が少しずれるようでもだけどつながるエピソードを一つ。
ついさっき、練馬駅の地下から地上に上がるエスカレーターでのこと。
そのエスカレーターはいつも混んでいて並ぶのね。
さっきももちろん混んで長い列が出来ていたわけなんだけど、私の前には小学生くらいの女の子がいたの。
すると、その女の子の前に「ずずずいっ」と横入りしようとする女性が。女性の年の頃は30代半ば、薬指に指輪をしスマホをひたすらいじり続けている。
私は「おいおい」と思って少し前につんのめる形になったのだが、すぐ前の小学生女子は違った。
ゆっっくりと、その図々しいオバサンが横入りするのを待ってエスカレーターに乗ったのだ。
もっと前の方にはその小学生女子のお母さんらしき人がいて心配そうに見ていたので、
私は心の中で「あんたの娘はエライよ!大丈夫。私がお嬢さんをお守りします…!」と念じながら目線を送っていた。(もちろん特に気が付いていなかったが。)

「ゆずり合い」の精神って美しいと思うのだ。
そりゃ、場合によっては話が進まないこともあるけどね。
世界各国のお偉いさんが、ほんの少しずつ「ゆずり合い」したら何かもっとピースフルになるんじゃないのーなんて思ったのだ。
まぁ、お偉いさん方に話しかけるチャンスなどないのでね。
まず私は、その真っ黒に日焼けした小学生女子を見習いたい。

Chie

※NHKホールの横で開催されていたインドフェスティバルにて、感動のアイス技を見せてくれたトルコアイス屋のお兄さんと私。
↓インドやらトルコやら…
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2011年08月14日

羊羹が呼んでいる

今年の正月は 羊羹 で迎えた。
年越しの瞬間に合わせてキャンドルの光の中で羊羹を食べるという儀式だ。
これは羊羹大好きなトローペンのエレキスト・ザキヲのたっての希望であった。
なんでも学生時代の教科書に載っていた谷崎潤一郎の随筆「陰翳礼讃」に影響されたとのこと。入試にも出たことがあるらしいのでご存知の方もいらっしゃるかもね。
以下一部抜粋↓
かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。
玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。
クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。
人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

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「ほんとうはそう旨くない羊羹」でもよかったのかもしれないが、そこは年越しだもの上等な羊羹を用意したいと思った。
羊羹といえば とらや である。というかそれしか浮かばなかったのだ。
というわけで、とらやの羊羹で今年が始まったわけなのだ。
それゆえか、家の前の公園で野良猫と遊んでいて出会ったウォ―キング中のおじさまが、とらやの偉い人の運転手だったりという出来事も。呼んでるわ~ラジオで「虎屋文庫」の特集を耳にしたりもしたしなー
そして先日。六本木ミッドタウンを歩いていたら、シャレオツな とらや 発見!誘われるように店内に吸い込まれる。
和菓子の美しさに感動。胸が高鳴る。羊羹についてはそれほど熱くない私でさえテンションが上がる。
ふと目をやると店内に展示スペースが。「ひゃーおつだなー」と思いながらいると意外な人物の名前を目にした。
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「えーっっっ!!!」大友良英さんってこんなこともやっているのか…!!!なおテンション上がる。最初の500枚だけナンバリングされているというので限定物に弱い女性というサガゆえその場で購入。でもこの装丁で1000円はお買い得☆

夜の梅
残月
水の宿

お菓子の名前が曲タイトル。
涼やかな調べ。大変おつである。
「夜の梅」は年越しの儀式で味わった羊羹である。感慨深い。果たして「残月」と「水の宿」はどのようなお味なのかしら。
とても気になるので今日は再び虎屋に行ってみることにした!
http://www.toraya-group.co.jp/main.html(「和菓子を聴く夜」というイベントがあるようなのだが、こちらはチケット売切れだそう。残念。仕事帰りにのぞいてみようかな。)

そして夕方からはNHKふれあいホールへ。
二階堂和美さんのラジオ公開録音に行ってくるのだ。
なんだか良い流れの休日になりそうである。

Chie
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2011年08月13日

ユーストリームと死生観

昨晩、初めてユーストリームで映像配信をしてみた。友人がやっていたので影響されたのだ。流した内容は屁でもない、友人とのダラダラトーク。よく飲み会の朝方にやってくるアレである。
録画していた映像を見てみた。
自分が思った以上に前歯が出ていて醜い為、削除させていただいた。またユーストする機会があればマスクをしようと思う。
不細工な顔を晒してしまって死ぬほど恥ずかしい。というかこれで毎日過ごしていることを認識すると恥ずかしい。


さて、「死ぬほど」と表現したが、死んだらどうなると思う?

私は死後の世界があって死んだらそこに行くと思っている。
死後の世界を見られる力がないので詳細不明だが、漠然と死んだら「そこ」に行くと思っている。
そういう考えは一般的ではないかと思っていたのだけど…ダラダラトークをした友人に問うてみた。
死後の世界は存在するのか???

友人たちは「無」になる派だった。
私はびっくりした。「無」になる派は少数だと思っていたのに…!

『無ってなんなのさ!無くなるってこと?』
『うん』
『じゃあ、今ある意識とか気持ちとかは脳という物質が科学的に動かしているということか?』
『うん』

ふがーっ!
とまぁ、理屈をこねようとしたけれど彼ら彼女らを納得させる論理はなく。

みんなが帰ったので(朝)なぜ自分は死後の世界があると思うかについてめぐらせてみる。
うーん、そう思うから。っていう理由が一番。
幼いころからの宗教観によるのかなぁ。

死んだら「無」終わり。何にもないよ。って思ったら死ぬのが怖すぎるんですけれど!!!
死んだ後も魂となり次のステップに進むと考えた方がその怖さは少し薄れるじゃないのよう。
死んだら終わりならば、生きてる意味ってなんですかー!いや、意味はないのか。
食うために働き、他人と摩擦しながら生きていく。ねぇ、しんどくてめんどくさいことも多いよ。
でもそれが苦行。修行であると。その意見は賛成なのさ。
毎日繰り返しでなんだかなー。少しの楽しみのために平日を流す。ハッピーエンド求めすぎ回路は切断した方がラクだね。

にしてもだよ。
宗教に偏りがあるメンバーだったらこの手の話はできないと思うんだけれど、そうではないので有意義なのよね。
反対意見言われるとイラッとするんだけどさwありがたいことだ。

あー眠い眠いぞ。

Chie

※哲学的な話に参加しなかった二人↓
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